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 ぶらり歩き   
 31. 伊豆半島を歩く (11)   平成24年6月15日
 テーマパークとして公開された400m坑道を入ったところには、山神の総元締である大山祇尊(おおやまづみのかみ)を祭神とする山神社(写真40)が設置されている。大山祇尊は愛媛県大三島に建つ大山祇神社を本拠地として、広く全国的に信仰されている神様であり、山に穴を受けて鉱物の採掘する鉱業でも祀られている。大三島の大山祇神社は三島系神社の総本社で、三島の三島大社をはじめ全国に1万社余りの三島神社が存在すると言われている。土肥金山の坑内に設けられた山神社の鳥居は、金山を象徴するように金箔の鳥居で再現されているが、実際はどうだったのか興味が湧く。

 坑道の随所に当時の採掘風景を再現した人形(写真41)が提示されている。戦前、戦後のわが国の炭鉱最盛期には夫婦で坑内に入って採掘作業に従事したというが、ここでも夫婦と見える男女の人形が展示されており、江戸時代の習慣が引き継がれてきたということであろうか。ここで、最近は女性の土木技術者も増えて変わってきたようだが、昔、「トンネルに女性を入れると山の神が怒って事故が起きる」と言って、女性を入れない習慣があった。これは山の神が女性でやきもちを焼くためだと言われていたが、よく考えてみると、山神の大山祇尊は男の神様なので、世情で男性がよくいう「うちの山の神(奥さんの事)が怖い」というのも含めて、山の神が女性というのはどこからきているのであろうか。
 坑内にはこのほかにも、送風を受け持つ作業者坑内の風呂休憩所の設置など作業環境に配慮されていたことが窺える。

 坑道の出口(写真42)は、江戸時代の人は現代人よりも身長が10から20cm程低かったようなので問題なかったのかもしれないが、我々にとっては背をかがめないと頭が当たりそうなくらいに天井が低く、側壁の岩質は硬い。

 坑道を出たところにある資料館を見学する。閉館時間まであまり時間がないため、急ぎ足での見学となるが、平日のため見学者の姿はほとんど見かけない。最も目を引く展示物は重量250kgの巨大金塊(写真43)である。昭和40年に閉山するまで年間算出された金が40トンといわれており、この金塊はその1/160に相当する。毎日この金塊の半分ほどの金が掘り出されていたことになり、いかに豊かな金山であったかがわかるし、西欧に黄金の国として日本が伝わったことも理解できる。
    
 

写真40 土肥金山 山神社

写真41 土肥金山 採掘風景

写真42 土肥金山坑道

写真43 土肥金山 巨大金塊

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